定期運用の最後だったのでしょうか



 30年前の新富士は、西港石油基地からのタンク車がほとんどでした。日中に入替をして夜から早朝にかけて帯広方面へ運ばれていきます。釧路操からDD51と緩急車だけがやってきて、新富士駅6番線に到着します。解放作業後、DD51は、大楽毛寄りに引き上げられ、1〜3番線のタンク車に連結、再び引き上げられ、緩急車と連結します。満タンのタンク車10〜12両をかかえて緩急車に連結するのはなかなか難しいものです。こちらの合図で徐々にスピードを落とし、上手く連結させるのは、運転士、操車係、そしてわれわれ構内係の呼吸があっているかどうかにかかってきます。スピードを落とすのはもっぱら単弁です。よっぽどスピードが早い場合には、タンク車にもブレーキがかかりますが、これをやっちゃうと連結前に停車してしまい、ブレーキが緩むまで、「しばらく待て」状態になります。また、ブレーキのタイミングが遅いと、緩急車と激突します。600?の重さが一気にか弱い緩急車にぶつかっていきますので、連結、というよりは、飛んでいってしまいます。列車掛さんにはよく怒られました。今回は長話になってしまいましたが、今日がDD51が定期運用で新富士に入ってくる最後の日ではなかったでしょうか。