石勝線の旅

 10月10日(月)、JR北海道釧路支社の「石勝線信号場停車&夕張・鉄道遺産の旅」がありましたので、ちょっとだけお手伝いさせていただきました。
 前日の9日は17時に「摩周で会いましゅう」が無事に終わり、駅前で腹ごしらえをしてから、釧路発19:33の新得行2532Dに乗りべく、釧路駅に戻りました。すると「釧網線の接続をとりますので、40分ほど遅れます」との放送を耳にしました。摩周で会いましゅうのバーベキュー列車のトラブルで、この日は釧網本線のダイヤが乱れていたようで、その余波が、2532Dまで押し寄せていました。自分でまいた種?だから仕方ないかと、ふと2番線をみると、3両のキハ40。後ろの2両は、翌日にこのツアーで使うキハ40の777と1758でした。

 結局帯広到着は、所定より20分ほどの遅れに回復していました。すぐにホテルへ向かいました。
 翌日10日は5時10分に起床、6時過ぎに帯広駅に行きましたが、すでに受付が始まり、お世話になっている人たちのお顔も・・・。
 6時17分に入線ということで、2番線で待機。昨日回送されてきたキハ40の2両がやってきました。新夕張寄りが777で釧路寄りが1758です。発車の5分前には、運転士に旧国鉄タブレットを渡すプチイベントも行われ、雰囲気を盛り上げます。

 6時28分に出発した列車は、「団体」の方向幕を掲げて新得をめざします。新得からは浜田新得町長も乗車しました。ここからは、信号場すべて止まります。特筆すべきは、上落合で、トンネルの中をまじまじと見る機会は少なく、感激でした。占冠では、方向幕を「急行」に変えたりして、楽しませてくれました。

 占冠を出発した列車は、鬼峠トンネルに入ります。ここのトンネル内にも、鬼峠信号場があったのですが、1986年3月3日で廃止になっています。今は、線路が撤去されトンネルの幅が広くなっているだけで、特急で通過すると、どこが信号場のあとなのか、わかりずらくなっています。でも、今回は信号場の跡は徐行してくれたため、はっきりとわかりました。
 楓では、多くの「撮り鉄」のみなさんに見送られて出発、新夕張では、夕張市の鈴木市長が出迎えてくれました。ここで、参加者代表の当会会員さんから鈴木市長へ石炭を贈呈しました。

 このあと、バスに乗り込み、三菱大夕張鉄道保存会の奥山会長など会員のみなさんによるガイドで、旧南大夕張駅に保存されている同鉄道のラッセル車や客車、石炭車などを見学しました。
 
 また、森林鉄道として6年間しか使われていない三弦橋もシューパロ湖から望みました。昼食後は、石炭の歴史村のSL館にも特別に入ることができ、三菱大夕張鉄道夕張鉄道の歴史に触れることができました。
 帰りは、夕張からキハ40に再び乗り込み、帯広を目指しました。新得を過ぎたあたりから、夕闇がせまり、西帯広ではすっかり夜に。

 ここでも上り普通列車と交換したのですが、交換相手はもう1両の朱色の40、1749でした。そうです、前日、摩周で会いましゅうの網走からのバーベキュー列車を引いていた?押していた?車両の1台です。恥ずかしそうに、私の前に現れたのは気のせいでしょうか(笑)
 帯広に無事到着し、夕食をしているとき、携帯にメールが届きました。スーパーとかち7号が、オサワ信号場でなにかと衝突し、遅れているうえに、私が釧路まで帰る予定のスーパーおおぞら11号が新夕張で止まっているとの一報を受けました。
 帯広駅に入ると、とかち7号は20分程度の遅れで到着し、10号としてやや遅れて札幌へ向かいましたが、わがおおぞら11号は、新夕張に停車したままだとか・・・。ぶつかった相手はクマさんということで、ハンターや警察などが出動したそうです。待合室で待つこと2時間ちょっと。2時間30分ほど遅れたおおぞら11号が入ってきました。帯広発が本来であれば20:16のところ22:53でした。

 傷心のまま、釧路に到着したのは0:20ころ。摩周で会いましゅうから、夕張の旅まで、2日間、悲しいような、楽しい2日間でした。